吉本興業のピン芸人、ピストジャムです。僕は、20歳のころにシモキタに越して来ました。カレー好きの僕にとっては、この街は天国です。
この特集では、僕が全責任を持って推薦する、美味しいカレーが食べられる店を紹介していきたいと思います。
File.2~DAS CURRY KIMURA RESTAURANT(ダスカレーキムラレストラン)
サニーさんと初めて会ったのは、シモキタのはずれにある淡島通り沿いのバーだった。その店にはいろんな人がやってくる。イタリア料理屋のコック、会社経営者、弁護士、海外転勤でやってきた外国人、有名ミュージシャン。
ほとんどの客がひとりで飲みに来る。しかし、カウンターに座るとマスターがとなりの客を紹介してくれるので、行くたびにどんどん知り合いが増えていく。
きっぷがいいマスターと愉快な仲間たち。みな帰宅前の一杯をそこで楽しんでいる。
「おお、サニー」
マスターの声に反応してドアのほうを振り返ると、笑顔の外国人が。
「サニーに会うの初めて? 池ノ上でカレー屋やってる。めちゃくちゃうまいよ。インド人」
当人はまだ席にも座っていないのに、さっそくマスターが紹介してくれる。僕のとなりにサニーさんが座る。
「ピストジャムです。吉本で芸人やってます」
「そうなんだ。うち結構芸能人来るよ。店、来たことある? 超おいしいよ。来たことなかったら一回来て。ランチもやってる。わかる? 場所? あ、先にお酒頼まないとね。すいません、ビールください」
流暢すぎる。たぶん僕より日本語がうまい。
「僕、カレー好きなんで行きます」
「そうなんだ。うちのカレー食べたら、ほかのカレー食べられないよ。今日も千葉から食べに来たって言うお客さんがいたんですよ。うちのカレーは玉ねぎを毎日10キロ使ってるんですよ。野菜を煮込むときにスパイスも入れて煮込んでるから、味が全然違う。うちは欧風カレーとインドカレーがあるんですけど、ベースは別々でつくってるんですよ。それを一日寝かして出してるから、味がしっかりしみ込んでておいしいですよ。辛さの調節もできるし。辛いの大丈夫?」
「大丈夫です」
「じゃ、中辛かな。中辛でも結構辛いけどね。スパイスが効いてるから。インドカレーには、クミン、コリアンダー、ガラムマサラ、ローリエ、ブラックペッパー、パプリカとか入ってて、欧風カレーはカルダモンとかクローブとか、あとちょっとだけ醤油が入ってるんですよ。全部日本の食材で、日本人の好みに合うようにしてるから。僕は日本のイタリアン、フレンチ、中華、洋食屋で28年働いたんですよ。だから、日本人の好みは全部わかる。カレー屋を開くって決めてから、56軒のカレー屋に行って食べて勉強したんですよ。ラッシーもおいしいよ」
笑いながら、サニーさんが僕の肩をたたく。
サニーさんの迫力に圧倒されながらも、スケジュールを確認する。明日、昼なら大丈夫だ。行ってみよう。
店は、井の頭線池ノ上駅から徒歩1分のところだった。僕は、10年前までこのすぐ近くに住んでいた。池ノ上駅を出て右側の、北沢1丁目の住人だった。
ここは駅を出て左側なので、ほとんど来る機会がなかった。北沢1丁目はシモキタまで歩いて数分なので、食事する際はいつもシモキタに出ていた。
看板には『DAS CURRY KIMURA RESTAURANT』と書いてあった。長い店名だ。RED HOT CHILI PEPPERSみたい。
しかも、見逃せない気になるところがある。「KIMURA」。「KIMURA RESTAURANT」とは、いったいどういうことだ。
サニーさんは、木村サニーという名前なんだろうか? それとも、木村さんというシェフが別にいてて、そのかたが開いた店で一緒に働いているということなのか? もしくは、先代の名前を継いで屋号を残しているのだろうか。
まさか。よからぬ考えが頭をよぎる。
そんなことはありえない。昨晩あれほど高い熱量でカレーづくりについて語っていたし、何度も「うちの店」「うちのカレー」と言っていた。
でも、看板にはサニーさんの名前が一つも見あたらない。もしかしたらサニーさんは、ただのバイトなのかもしれない。
サニーさんはひとりで働いていた。
「こんにちは。さっそく来ました」
声をかけると、笑顔で迎えてくれた。
少しほっとする。覚えられていなかったらどうしようかと思った。
「何にします?」
インドカレーを食べようと決めていたけれど、一応訊いてみる。
「インドカレーと欧風カレー、どっちがおすすめですか?」
すると、
「欧風カレーかな」
カウンターの椅子からずり落ちそうになった。カレーは、インド人がつくるインドカレーが一番だと思っていた。
「どっちもおいしいけどね」
もう遅い。インド人がおすすめする欧風カレーとは、いったいどんなものなのか食べてみたくなった。
ランチセットにも欧風カレーで牛バラカレーというのがあったが、単品でビーフカレーを注文した。
「ラッシーもおいしいよ」
そうだった。欧風カレーをすすめられた衝撃で忘れてしまっていた。
プレーンラッシーも頼む。ラッシーも自家製だと言う。
それにしても、サニーさんはセールストークが上手だ。昨日の「うちのカレー」をプレゼンする勢いあるトークもすごかったが、さっきの「ラッシーもおいしいよ」は「ご一緒にポテトもいかがですか?」以上のかろやかさだった。
芸人顔負けの緩急を使い分けたトーク。勉強になる。
ラッシーは、濃厚なのに飲みやすく、絶妙な塩加減でさっぱりしていた。あまさひかえめなので、カレーとの相性はぴったりだろう。もう、半分飲んでしまった。
キッチンから、スパイシーな香りがただよってくる。食欲が刺激される。
ほどなくして待望の欧風ビーフカレーが運ばれてきた。白い皿にルーとターメリックライスが半々に盛られていて、ライスの上には玉ねぎのアチャールが載せられている。
ターメリックライスの欧風カレーは意外に少ない。楽しみだ。
なんでいままで知らなかったんだろう。後悔した。
ルーはスパイスだけではなく、玉ねぎのあまみもしっかり感じられて、コクがすごい。肉もスパイスでうまみがさらに引き立てられている。
ターメリックライスもアチャールもルーに合い、カレーとして一体感がある。サニーさんのみごとなスパイス遣いの成せる技だ。
ただ、これは欧風カレーなんだろうか。そう言われればそうなのかもしれないが、こんな味わいの欧風カレーは食べたことがない。
インドカレーと欧風カレーのいいとこどりのハイブリッドカレー。サニーさんにしかつくれないオリジナルカレーだ。
あっと言う間に完食した。すでに食べている途中に決めていたのだが、続けてインドカレーも注文した。
本当はとんこつラーメンの替え玉のように、食べている途中から頼みたかった。でも、さすがにそれはわんぱくすぎるだろうと思って我慢した。
こんなこと初めてだ。カレー屋で二杯頼むなんて。
「たまにそういう人いるよ。両方食べたくなって、二杯食べる人いるから大丈夫」
サニーさんは笑う。
カレー好きなら気になるだろう。欧風カレーがこんな感じだったのなら、インドカレーはどんな感じなのか。
インドカレーは、チキンにした。辛さは、欧風ビーフと同じく中辛。
残りのラッシーを飲んで待つ。このタイミングでソルティーなラッシーで口直しできるのは最高だ。
調理するサニーさんに、店名の件を尋ねる。「ダス」はサニーさんの名字で、「キムラ」はサニーさんの妻の名字だと言う。
ちゃんとサニーさんの名前が入っていた。サニーさんはバイトじゃなかった。オーナーシェフだ。
インドカレーも、欧風カレーと同じ盛り付けで運ばれてきた。見た目だけでは、ほとんど違いがわからない。ルーも濃厚だ。
欧風カレーよりもスパイスの香りと刺激が強く感じられる。玉ねぎのあまみが口に広がったあとに、スパイスが複雑に押し寄せてくる。
これも、やはり一般的なインドカレーとはひと味違う。欧風カレーもそうだったが、サニーさんのカレーを的確にジャンル分けするのは難しい。言葉がないから欧風カレー、インドカレーと名乗っているだけで、もはやそういったジャンルを飛び越えている。
二杯目も完食した。口の中に残るスパイスの余韻を感じながら、改めてメニュー表を見る。
インドカレー10種類、欧風カレーは15種類もあった。訊くと、それぞれのカレーで使うスパイスがすべて異なると言う。酒の種類も豊富で、料理もアラカルトで頼めるらしい。
これは困った。今度は、昼と夜、一日に二回行く可能性が出てきた。