吉本興業のピン芸人、ピストジャムです。僕は、20歳のころにシモキタに越して来ました。カレー好きの僕にとっては、この街は天国です。
この特集では、僕が全責任を持って推薦する、美味しいカレーが食べられる店を紹介していきたいと思います。
File.4~犬拳堂(イヌケンドウ)
一番街商店街の中腹に、その店はある。『炭火やきとり 駅』の2階。
11月頭にリニューアルしたばかりで、看板が真新しい。黒地に黄色の文字で『犬拳堂 ASIAN CURRY BAR』と書かれている。
看板上部には、犬の肉球のイラストに「INUKEN」と書かれた黄色のライトも取り付けられていた。あのライトは、移転前の店のドアの上にあったやつだろうか。
『犬拳堂』は、最初一番街商店街の入り口付近にある交番のとなりにあった。茶沢通り沿いの小さなビルの2階。あのライトは、そのときあったものだと思う。
トレイを持って立つベティちゃんの人形は、リニューアル後も健在だ。ベティちゃんの足もとには、年季の入った木製の看板が。そちらには『MARTIAL ARTS CAFE 犬拳堂』の文字。
移転してから何年経つのだろう。もう7年は経つか。
MARTIAL ARTS CAFEという聞き慣れない言葉を、初めて耳にしたのは2009年の夏。鈴なり横丁や駅前のヤミイチで飲んでいたときに、まわりの客たちから聞いた。
「最近オープンした犬拳堂って、MARTIAL ARTS CAFEっていって、格闘技の映像を観ながら飲めるらしいぞ」
「カレーうまかったよ」
「店主は元ボクサーらしいな」
「いや、俺は元漫画家って聞いたよ」
などと、話題になっていた。
初めて店を訪れたのは、その年の秋。かつて金子ボクシングジム所属のボクサーだったコモリのおじちゃまと呼ばれる中年男性に、たまたま飲み屋で会った流れで連れて行ってもらった。
僕が以前バイトしていた『Puttin』というバーのオーナー「プッチン」は金子ボクシングジム所属で日本チャンピオンになった人だった。バーには頻繁に金子ボクシングジムの関係者が飲みに訪れていて、コモリのおじちゃまとはそこで知り合った。
僕が知っている元ボクサーの人たちはもれなくやさしい方ばかりだったが、犬拳堂のマスターはやさしいだけではなく、誠実で真面目な人柄だった。マスターの直接の先輩ではないはずのコモリのおじちゃまにも、後輩として礼儀正しく接客する姿が印象に残っている。
『犬拳堂』のカレーは、タイカレーをベースにしたオリジナルカレーでおいしかった。当時、シモキタでタイ料理といえば駅前の『タラート』か、タイ人が経営する『バーン・キラオ』くらい。どちらもおいしかったのだが、犬拳堂のカレーはそのどちらとも似ていなかった。
マスターは吉祥寺のカレー屋で修行し、タイからやってきたムエタイ選手の仲間が自炊でつくっていたカレーをヒントにして、このカレーを開発したらしい。どおりで、ひと味違うわけだ。
一番街商店街の中に移転してからも、前を通るたびにカレーを食べに立ち寄った。マスターのカレーへの情熱はとどまることを知らない。行くたびに進化していっているのが感じられた。
きっと調理法や食材や隠し味など、細かい修正を日々加えているのだろう。同じメニューを食べているのに「この前よりうまいな」と毎回思うのだ。
定番のメニューは3種類。「焼きチーズカリー」「元祖下北アジアンカリー」「極辛カリー」。
ほかには「今週のカリー」という限定カレーも。「濃厚スパイシーチキンカリー」「ハンバーグカリー」「タコカリー」「牛タンカリー」など、週ごとにさまざまなカレーが食べられる。
リニューアル後は、これに2種類のカレーが加わった。
マスターの地元である埼玉県狭山市のブランド茶、狭山茶をブレンドした「狭山グリーンカリー」と、ゴマの風味が香る「黒ゴマカリー」だ。
狭山グリーンカリーは、お茶の香りを楽しめる唯一無二のカレー。黒ゴマカリーは、ゴマとニンニクがしっかり効いたパンチのある食べごたえ。どちらも、『犬拳堂』でしか食べられない味だ。
マスターいわく、カレーの色を先に決めたそうだ。緑と黒のカレーをつくりたいというヴィジュアルが頭に浮かび、それに合わせて食材を選んで完成させたと言う。
通ううちに分かったのだが、昔いろんな飲み屋で聞いたマスターの話は、噂ではなくすべて本当の話だった。ボクシングをずっとやっていて、そののちに漫画家になり、ちばてつや賞も受賞したらしい。
なぜカレーをつくり始めたのか尋ねると、
「好きなもののランキングが、1位格闘技、2位漫画、3位カレーだったから」
と、さわやかに笑った。
テーブルに置かれたメニューの表紙には、マスターがGペンで描いたイラストが載っている。海賊のマークのように、髑髏にボクシンググローブとスプーンが交差した絵。
「好きなことやってるから、全然ストレスないよ」
この店が居心地のいい理由がわかった気がした。
ピース又吉さんと、シモキタのカレー屋でどこが好きか話したことがあった。そのとき一番最初に又吉さんの口から出たのが、『犬拳堂』だった。
『火花』を執筆していたとき、『犬拳堂』の近くに書斎を構えていて、よく食べに行ったと言う。きっと又吉さんも、マスターがつくるカレーとこの店に漂う空気に癒されたのだろう。
マスターには、すでにカレーの弟子が数人いるらしい。そのうちのひとりは、僕も知っている人だった。
鈴なり横丁で『DAYS』というバーをやっていたメグさん。『Puttin』でバイトしていたころ、僕は彼女と話すのが楽しみの一つだった。彼女はいま、『犬拳堂』のマスターから教わったカレーを吉祥寺の『Funny』という店でランチで出しているらしい。
「そういえば、池ノ上の『魔人屋(まんとや)』で狭山茶割りというドリンクを出してましたよ」
狭山グリーンカレーをほおばりながら、僕がそうこぼすと
「え? そうなの? 今度行ってみる」
と、マスターは返した。
数日後、マスターからLINEにメッセージが届いた。
「10年ぶりに魔人屋行ってきました。貴重な情報ありがとう」
僕みたいなただの客にまで、こんな丁寧に連絡をくれるなんて。マスターの誠実さは、カレーへの情熱のようにとどまることを知らない。
【店舗データ】
犬拳堂
東京都世田谷区北沢2-38-10 2F
03-3485-8698
[月・火・木・金]
12:00~14:30
18:30~23:00
[土・日]
12:00~15:30
18:30~23:00
※ただしカレーがなくなり次第終了。営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください