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インタビュー2009-05-25

下北沢歴15年、7店舗を経営する若き経営者
下北沢で成功し続ける秘訣(ひけつ)とは?

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沖縄出身の安里朝光(あさと・ともみつ)さんが下北沢に沖縄料理屋「ちゃんぷる~」(世田谷区代沢5、TEL 03-3413-6489)をオープンしたのは、1995年。翌年、同じビルの3階に古酒バー「Aサインバー」、1階に沖縄食堂「丸安そば」をオープン。ビルの1階から3階までを沖縄一色に染めて話題になった。2000年に焼酎、泡盛バー「AサインBAR2号店」(北沢2)、2003年にトリスバー「バーキタザワ」(同)、2006年に鉄板焼き店「さわ」(代沢5)、その翌年に貸しギャラリー「シモキタギャラリー」(代沢5)、そして、昨年12月には、ニューハーフバー「シモキタ婦人」(北沢2)を相次いでオープンした。そのうちのほとんどは開店当時、「下北沢初業態」だったという。時代を先読みする手腕と目利き、その大胆で斬新な行動力の秘密は?

たい焼き店を切り盛りした少年時代

―実家も店を経営しているのだとか。

安里 実家が那覇市の中心の市場の近くで沖縄そば屋(現在、創業30年の「丸安そば」)を営業していました。当時は珍しい24時間営業、ずっと満席状態。その手伝いをしていました。それから親父がたい焼き屋もやっていて、僕は小学生のころから、そこを一人で任されていました。一人で焼きから売りまで。だから、小さい時から、お金を稼ぐことの大変さ、お金をもらうことのありがたさが染みついているんでしょうね。当時、『小遣い』をもらったことはなくて、たい焼き屋を手伝うことでの『手伝い賃』をもらっていました。欲しいものがある時は親にお金をもらうのではなく、自分の貯金で全部買うんです。

―高校時代は?

安里 高校に入ってからも、ビルの清掃や冷凍食品の工場などいろんなアルバイトをしました。当時は自給350円。それでも夏休みには10万円以上稼いでいました。欲しかったバイクも自分で買いました。自分で買うからうれしいんですよね。

―その後、18歳で上京したのですね。

安里 当初は父親の店を継ぐための修行という名目でした。祖師谷大蔵に住んでいた兄の家に転がり込んで、まずは渋谷のカフェバーでアルバイトを始めました。

―当時のことを教えてください。

安里 まず、人の多さにびっくりしました。当時はバブルの全盛期。お客さんがひっきりなしに来るので3カ月休みなし。自給510円でしたが、文句は言いませんでした。沖縄は350円でしたから。それが東京では生きていけない時給だとわからなかったんです(笑)。でもさすがに生活が苦しくなって、原宿の居酒屋に転職しました。

「商売」を教えてくれた鉄板焼き店の店長

―その後、何か転機があったのですか?

安里 ある日、向かいの鉄板焼き屋からスカウトされました。働きぶりをよく見ていてくれたようで、「兄ちゃん、よう働くなぁ、うちにけえへんか」と。それで、そこの店長と副店長と僕の3人で頑張ることになりました。気が付けば11年。店はどんどん大きくなって、同じ原宿に次々とオープン。10店舗を超えていました。僕は店舗の一つを任されたり、ボーナスをもらったり、社員旅行で海外に何度も連れて行ってもらったり。頼りにされているんだなと感じるとうれしくて、やる気になってまた頑張る。その関西人の店長に、「商い」や「スタッフとの協力」というものを学ばせてもらったと思います。恩人ですね。

―開店資金は当時からためていたのですか?

安里 当時、鉄板焼き屋で働く以外にも、月に1回のペースでフリーマーケットに出店していました。だんだんハワイに古着を仕入れに行くようになったりもして、1日で10万円以上稼いだこともあります。280万円の車を売ったことも。貯金は1,500万円くらいあったと思います。でも、いざ開業する時になったら、500万円足りなかった。そうしたら、店長が「頑張れよ」って500万円貸してくれたんです。ありがたかったですね。

―下北沢を選んだ理由は?

安里 東京に来て、兄に最初に連れて行ってもらったのが下北沢でした。なんだか下町っぽくて、ごちゃごちゃしていて沖縄と似ていて、まるで実家がやっているそば屋の近くの風景でした。その時から、「いつか下北で」という気持ちがありました。

開店後、すぐに連日満員 沖縄ブームに

―上京後12年で、ついに自分の店「ちゃんぷる~」を持つことに…。

安里 最初は親父に上京してもらって、2人で始めることにしました。当時、下北沢に沖縄料理屋は一軒もなかったけれど、きっと沖縄ブームが来ると思っていました。ちょうど安室奈美恵さんが出始めのころで(笑)…。でも最初は不安でした。お客さんが来ないと困るから、アルバイトをしたいと言ってくれた子もいたけど断ったくらいです。

―開店後は…?

安里 不安をよそに、連日満席でした(笑)。結局、断った子に連絡を取って来てもらうことになりました。そのうち沖縄出身の芸能人の方が来てくれるようになって、それが縁だったのか取材もたくさん来るようになりました。

―翌年に同じビルに「Aサインバー」と「丸安そば」をオープンし、「沖縄ビル」として話題になりましたね。

安里 思っていた通り、沖縄ブームが来ました。沖縄出身者だけでなく、沖縄好きな人、沖縄によく旅行に行くという人たちがリピーターになってくれた。『ただいま~』と言うように店に来てくれたんです。

―その後、まだブームが始まる前に焼酎バーや昭和の雰囲気を演出したトリスバーを計画しています。

安里 いつも「直感」と「運」です。焼酎バーは、蔵元を回っていてひらめきました。トリスバーは、不動産屋から30年営業して閉店したバーの物件を紹介されて…。すぐに、ここに昭和歌謡のレコードを置いて、トリスを置いて…と映像が浮かんだ。後は人の縁ですね。鉄板焼きの「さわ」を開いたのは、偶然以前一緒にやっていた副店長と再会したから。物件も知り合いの古民家を改造したものです。ニューハーフバーは、横浜から通ってくれていたニューハーフのお客さんが「店を出したい」というのを聞いて。人とのつながりとタイミングですね。

いつか沖縄に「第二の下北沢」を

―下北沢にこだわる理由は?

安里 そりゃあ、シモキタが好きだからですよ。それと、同じエリアにお店を集中させると、いつでも暇な店から忙しい店へヘルプが出せる。時間帯も、そば屋は昼、鉄板焼き屋は夜、バーは夜中という感じでずらせば、少ない人数で回せるんです。

―約20人いるスタッフを毎年、沖縄や海外に社員旅行に連れて行っていると聞きました。

安里 原宿時代に自分が店長からそうしてもらってうれしかったから、自分のスタッフにもその思いを味わってもらいたい。スタッフに挑戦したいことがあるなら応援したい。うちはパワーがあっていい子が集まってくるんですよ。もちろん、ボーナスも出しています。

―成功してきた理由は何だと思いますか?

安里 僕は、料理人ではありません。商売人です。『おいしい』と言ってもらうのもうれしいけれど、それよりも『楽しいからまた来たい』と言ってもらいたい。自分がお客さんだとしたら楽しい店かどうか、みんなが楽しめるかどうか。それをいつも考えています。

―最後に、下北沢について一言お願いします。

安里 下北沢も変わってきましたが、悪い方向にいかないようにしてほしいですね。大好きな街ですから。いつか、下北沢に沖縄を作ったように、沖縄にも第二の下北沢を作りたいと思っています。桜坂、栄町、いい雰囲気の街はいっぱいありますからね。

<プロフィール>                                            安里朝光(あさと あさみつ)さん。43歳。沖縄県那覇市出身。下北沢で、沖縄料理店「ちゃんぷる~」など、8店舗を経営する。那覇市から那覇市観光大使にも任命されている。父親は、沖縄の有名店「丸安そば」の創業主。

(文責:佐藤智子/下北沢経済新聞)

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